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【対談記事】うどん大地 店長 青木氏 Vol.1

【対談記事】うどん大地 店長 青木氏 Vol.1

青木さんとはどんな人なのか。



新井

今回は対談をするにあたって、まずは青木さんのことについてお聞かせいただきたいと思います。青木さんは現在「うどん大地」の経営者ですが、昔からうどん屋さんになりたいと思っていたのですか。



青木

小学校の時から経営者になることが目標でした。35歳までには確固たる経営者になりたいと考えていました。でも最初からうどん屋さんになるつもりではなかったです。


新井

そうなのですね。では、なぜうどん屋さんになったのかという部分を聞いていきたいと思います。今までの職歴についてお聞かせください。


青木

新卒で入社した会社があったのですが、ずっとこの会社にいたらだめだと思いまして、1998年くらいからコカ・コーラと佐川急便に1年ずついいました。


新井

配送関係のお仕事をされていたのですね。


青木

そうです。当時は両方とも軍隊のようで、心と体をいっぱいいじめて体力的にもメンタル的にも強くなりたくて1年ずつやりました。そして、その後IT革命がありました。この業界は絶対にくると思っていたのでPCの知識はいっぱい身につけてベンチャーに飛び込みました。当時は会社でのやりとりは連絡帳を使っていたので、それをメールで行えるようにしました。また、エクセルやワードも勉強して帳票や管理票の仕組み作りを勉強しました。後は持ち前の元気と接客で22歳の時に最年少部長になりました。


新井



すごいですね。仕組みづくりをすることで会社内に変化は起きましたか。


青木

いろいろ仕組みを改善することや機械を導入することでコストが削減できるので人が要らなくなりました。ただ、そうすると今までのスタッフを減らしていく必要があります。雇用の創出が難しくなるという部分では少し悩みましたね。


新井

その時から会社規模での視点をもっていたのですね。その問題に対しては何か取り組みをされたのですか。


青木

当時は会社の店舗内に外部の飲食店を入れていましたが、ここに自社で飲食の店をださないかと社長に直談判しました。そうすれば雇用の創出が出来ると考えました。当時は「丸亀製麺」と「はなまるうどん」が伸びていて、社長がうどんの店を出したらどうかと話がありました。当初は「はなまるうどん」のフランチャイズをやるということでしたが、今までずっと自社でアイディアを出してやってきたのになぜここでフランチャイズなのですかと思い、職位も休みもなしで一人でもいいか


ら俺にやらせてくれと伝えました。0.5畳の給湯室から始まり、それから全国食べ歩いて研究しました。


新井

ここでうどん屋さんになったきっかけに繋がるわけですね。やるからには研究をしてしっかりやろうという意気込みもいいですね。そして、そのときの経験があるから今があるということですね。


青木

そうなのですよ。会社の全部署から自分の職位を捨ててまで何やっているのと言われました。


新井

もう成功しているのだからどうして急にうどん屋さんをやり始めたのと思われても正直、仕方がないとは思いますね。


青木

そうです。業務委託でもいいでしょと思われる気持ちも分かります。でも当時の本来の目的として、雇用についての部分が大きかったわけで、今後の若い子の芽を摘んじゃうのは嫌だと思いました。ちょっとでもいいから雇


用の維持が出来る体制を作っていきたかったのです。


新井

しかしながら、うどん屋を始めてすぐに雇用が安定するほどの売り上げは上がらなかったと思います。お客さんからはどのような反応だったのですか。


青木

当時は本業と関係ないうどん屋さんが入っているので、あまり相手にされませんでした。でも絶対に成功させるぞという気持ちで様々な手を使ってとにかく研究して外からお客を呼び込んでやるぞという意気込みでやりました。当時は10席から始めましたが、いまでは70席くらいになっています。上尾日の出にあるお店も10席から始めましたが、今は365日営業で100席になっています。


新井

絶対にやってやるという強い気持ちと様々な手法によってお店の規模は大きくなっていったわけですね。

そこから独立をして自分が経営者としてやっていくことになるのですね。

(※当時や今の強い気持ちの持ち方や様々な手法については「うどん大地」の「大将会」にて青木さんに直接お話を聞ける機会があります!詳細は「うどん大地」のインスタグラムまたはフェイスブックにてご確認ください。)


青木



この時にはある程度、飲食店としてのオペレーションもスタッフの教育もできていたので、35歳までに新しい経営をやりたいと思っていました。経営をするにあたって王道と王道をくっつけてやってみるというアイディアがありました。埼玉県はうどんの消費量が全国第2位で埼玉県から絶対すたれないと思いました。また、居酒屋という文化も日本からなくならないと思いました。でも、これをくっつけている業態はなかったのですよ。うどん居酒屋というビジネスモデルはなかったので、これは面白いと思いました。


新井

締めにうどんというのはあまりイメージがないですね。居酒屋の名物としてうどんがあるということであればイメージできますが、正直その名物だけで人が呼べるかどうかは難しいのかなとも思います。


青木

おっしゃる通りだと思います。私も2パターンのやり方があると思いました。居酒屋メインでうどんをだす店にするのか、それともうどん屋メインの居酒屋営業をする店にするのか考えました。私の中では居酒屋メインでうどんを出すだけでは簡単に真似ができてしまうと思いました。ですが、うどんメイン


の居酒屋はそう簡単には真似出来ないと思いました。なぜなら、まずはうどんだけで評価されなければならないですからね。行列のできるうどん屋にして、そこから夜のフェーズに以降する。それを真似するには相当な企業努力をしないといけないと思います。


新井

うどん屋として確固たる地位が築けていれば居酒屋営業の際にあるしめのうどんのレベルがものすごく高いわけです。しめのうどんがメインの居酒屋になるわけですね。しめがメインになるという酒飲みの新たな楽しみ方ですね。


■次回、青木さんと新井理事長の目標へと向かう原動力と2023年度行田青年会議所が目指す到達点についての対談に続きます。


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